えていたのかも知れ

非公開記事が3つ続く。
書いても書いても非公開に。
しょうもない個人的内面を綴っているだけなのだが、突き詰めて本音を書けば書くほど、公開できない。
ブログとは、、、だれかに読んでほしくて書くのではなかったのか。
自分の内面に向かい合い、直視し、自問し、ある程度の解析が出来た。
それは、自分だけの心情であり、他の人には共鳴されないことは、ハッキリわかっている。
人は怖いもの見たさに、自分とは違う考えや感性に触れたいこともある。
が、そんな痛い怖い、「番町皿屋敷」のサンプルのようなものをあえて公開したくない。
これまでのわたしは、自嘲、自虐趣味があるため、それである意味、ヒリヒリした快感を覚えていたのかも知れない。
が、歳のせいか(そうとも言えない)、自分のこころの深いところのものは人には見られたくなくなった。
かと言って、嘘やねつ造はしたくない。
(誇張、比喩表現や演出は、多々あっても)

自分のアイデンティティを探り見つめ、深掘りし、認識した結果、それは、自分の理想とは違うものだった。
今からアイデンティティを変えるわけにもいかない。
せいぜいマイナーチェンジ、部分的調整ぐらいだ。

時代が変わっている。
自分は時代のギリギリ最後尾にいると思っていたが、そうではない。
時代から隔離している。
落ちこぼれているわけではない。離脱している。
「置いてきぼり」だとは、へんな自尊心があり、思いたくない。認めたくない。
乖離というようなマイナスイメージではないものの、痛い老人の仲間入りをしている。
いつの世も、それが老人というものだが。

理想を追い求めていたら、どんどん理想ではない方向に行っている。
その複雑な本音は、表現しにくい。
過去の成功体験の上に築かれているものであり、
明らかに、古い感覚、考え方、価値観であり、
そうであるとわかっていながら、旧態然とした価値観や様式に固執している。
ノスタルジーと新生様式、感覚の間に横たわるものに、微妙な違和感を感じる。
調整出来ない。
もう手を離れ、自分ではどうにも出来ないのに、自分が自由に出来るものだと思い込み、こだわる。
過去の価値観を大切にし過ぎて、現実と融合できない。
ではあるが、おそらくあと少しで、生臭みのない、にこにこおばあちゃんになれると思う。
スッキリ爽やかな。
とは言え、そうなるには、過去を超えるには時間がかかる。

な普通の人であるわたし

たまたま無いなら良い。
いつも常に無いとしても、本人がそれでよければ良し。
ごく稀にあるなら、それは素晴らしい。
あるか無いかわからないことの為に、一応、取り敢えずすぐ行動出来るように備える。
防災訓練みたいなものか。

しかし、健康オタクのように、健康なのに、その現況の健康を享受せず、不健康にならない為のことばかりにとらわれる。
健康を害することばかりが、強迫観念のように脳内に押し寄せて来る。
実に、もったいないfull bikini 脫毛 位置
健康を維持するのには努力も必要だろうけれど、今ある健康、幸せを噛み締めないと、いつ噛み締める?
もっともっとと上昇志向も結構だが、ある程度の人生を歩むと、もっともっとは、せっかくの幸せを目減りさせることになりかねない。
とはいうものの、健康であってこそしか出来ないこともある。

趣味の先輩Aさんは、自分が歩んできた道を遡ってのアドバイス
仕事一筋でリタイア後、家にも、地域にも居場所がなかった男性が歩んできた道のり。
仕事もしたけれど、主婦もしながら、地域活動(自治会やPTAや地域の子供会)もして、ついでに仕事と子育てをしていた、女性としては、ごく一般的な普通の人であるわたしとは、順番も道も違う激光脫毛副作用
逆に、彼は仕事一筋で他を全て妻に任せていたということだ。
どういうこと?
誰のおかげでメシが食える?と、口には出さないにしても、普通に力むことなく淡々と思っていることだろう。
だがしかし、時代が変わると意識も変わる、、、のは、皆さんご存知のところ。
仕事さえしていれば、お金さえ稼いでくれば無罪放免、免罪符の時代は過ぎた。
働く本人の働き方も、ライフバランスがシフトし、仕事ばかりを優先して私生活が犠牲になる企業は敬遠される。

女性は、人生をいくつもの線を同時に走ってきている。
複数タスクを抱えてこなしていた。
しかも、収入を抑えろだの、時間を制限しろだの、家事育児に影響ない範囲なら仕事をしてもよい(許可制)だの、制約付き。
男性は仕事の中ではいくつもの案件を複数抱えていたかもしれないが仕事一筋。
子育ても家事も介護も家の行事も全部全力で抱えている人はどれぐらい、いたMedilase 脫毛
(中にはいたが、少数派)

この趣味の先輩Aさんは、わたしより少し年上と思われ、環境も普通なので意識も革新的でもなんでもなく、昔風なんだろう。
ずっぽり昭和の人。
だから、わたしが彼の「居場所作り」アドバイスに違和感を覚えたのだろう、と、今初めて理解した。
居場所作りにおいて、わたしは彼の何十年も先輩になる。
何を今更感がある。
とは言え、仕事をしない選択肢もわたしにはあった。
ということは、わたしは昔の価値観、ライフスタイルを採択したため、何十年も前に趣味を一通りかじることが出来たのだろう。
(しかしながら、仕事をしていても、趣味や仕事を離れた世界の中から選択して楽しんでいる人はいた)
余裕が無い人もいた。
仕事と趣味。難しい選択。
仕事が趣味、なんていう人もいる。

リタイアした男性の皆さん、多かれ少なかれ、その後の自分の人生と向き合うことになる。
女性もリタイア後は人生に向かうのだろうけれど、「女性は家庭」という古い時代も半分生きていたので、男性ほど、リタイヤと共に、無職の素の自分に向き合わなくてはならない切羽詰まった思いは強くないように思う。
温度差は人それぞれかも知れないが。

するとまた着れる日が来

男性と女性のおおまかな違いに、今朝、ふと気づいた。
例外や個人差はあると思うが。

女性は(わたしぐらいのリタイア年齢になると)、暮らしを楽しむことで日々、充実感を得る。
ものすごくお金がかかるわけではない。
何を食べようかな。
あ、そうだ。昨夜の残りもののカボチャ、ハムとチーズを乗せて焼こうか。
それとも、ミートソースを乗せようか。
一人で自分が食べる、本日のメニューを考える。
生協宅配の申し込み書も、ひとりでほっこり食べられる苺のかき氷、これを頼もう企業月曆
今日、帰宅してから食べられるように、宇治抹茶あんみつを解凍しておこう。
(食べることばかり)
何時間か後の楽しみがじわじわ押し寄せる。

好きな器や調度品、花や草木、香りの小物、、、脇役も勢揃い。
小さくなって着れなくなった衣類を手直ししたりして、気分を一新するとまた着れる日が来る。
誰に見せるわけでもなく、自分を楽しませてくれるモノ。
自分のこころの中を表現する絵も描いてみたい。
そう、知人Aに言うと、絵画教室に通わないとね、と反応。
べつに習いたいわけではない。人に見せたいわけではない。
発表会や展覧会に出したいわけではない。
自分独自の表現をしたい。
溢れるままにアウトプットをしたい。
だが、その知人Aは基本から習う路線を譲らない。
二人の話は平行線。
次第に語気を強めて行くわたしに、知人Aはヘキヘキ。
「アタマが痛くなってきた」と一言。
で、その話はお開き。
人それぞれ好みの問題で、建設的ではない話に必要以上に熱くなり、わたしも反省した。

実はこの知人A、、、アタマが柔らかそうでいいなあ、と、第一印象を受けた、、、が、カチンコチンだった。
見誤った。
まあそういうこともあるmyob 教學

そもそもわたしは体育会系の人間は苦手だ。
でもわたしが文系、インドア派なので、ほっておくと全く運動をしない。
老体に鞭打ち、健康寿命を維持するため、自分にハッパをかける意味でも、この、アタマカチンコチン体育会系人間と、運動している。
体育会系は、ほんとに困る。
わたしが「足が痛い、膝が痛い」と無理したくないそぶりを見せると、「絆創膏を貼ったらいいですよ」と、取り計らってくれない。
わざと悪いジョーク。聞き飽きた。
こんな人のペースに巻き込まれたら、健康寿命がかえって目減りする。
自分の身は自分で守らなければいけない。
なので、もうダメ、MAX限界、という一歩手前で音をあげることにしている。
ギリギリまで頑張ると、身体を壊しては意味がない。
根性なし、と罵られようが、わたしは健康寿命を第一優先的に考える。
旅行はもちろんのこと、日常生活にまで支障をきたすようなことにでもなったら大変。
生活の質が著しく低下する。
自己責任。
なので、自己鍛錬や自己向上などには目を瞑り、ひたすら防衛に回る。
自分はもう闘わない局面に来てい脫毛學生る。

一色に短期間で染まっ

老化のせいにすると楽なのだが。
学生時代からの筋金入りのカチンコチン脳である。
ではあるものの、老化で嘆いている皆さんと一緒に、「わたしも老化で、、、」と苦笑いしておくのは悪くない。
誰も、「わたしは学生時代、半世紀以上前からこうで、ああで」などという講釈など(無駄で不毛で意味がなく)聞く人もいない香港工作簽證

上っ面のカルチャー、知性に憧れて、中身は、さっぱり、、、これを続けて半世紀。
中は空っぽ服務式公寓

とは言え、司馬遼太郎さんは、今の時代に投げかける重要な話をされている。
転換期を迎える今の時代にこそ、ぜひ耳を傾けてみたい。
それまでの長年積まれた日本の思考などが、明治以降の、一気に押し寄せた西洋文明一色に短期間で染まった。
人を育成する期間が短かった。
政治家は、特に。
西洋一辺倒を振り返る良い機会である。

第二次世界大戦以後はアメリカ一辺倒。
なんでこう、一辺倒なのだろう。
日本人は染まりやすい?言うことを聞きやすい?
明治までは、農業国だったわけで。その一方で、高い文化や技術も生み出され受け継がれていた。
第二次世界大戦以後、一気に世界経済の表舞台に躍り出た昭和であるが。

自分が生まれ育った日々は正にドンピシャリ日本の高度成長期。
勢いがあった。
当時、子供だった自分にはわからないと思うが、今思えば、昭和!!色がプンプン匂う。

大人になってわかるかと言えば、そうでもない。
何もわかっていないということが、わかった。
家庭シェルターの中から出勤していた。
仕事と言っても社会勉強のようなもの。
子育ても、すくすく何の問題もなく。
ぶち当たった困難から学ぶとすると、大した困難もないのでは、そこから学びようがない。

が、やはり子供の時と見る目や視野、考え方が違う。
しかし、大人になってから交流を持つ人にかなり影響を受ける。
にもかかわらず、あまり影響を受けていない。
あまり変わらない。
きっと、人生観や価値観がひっくり返る程、壮絶な体験をしていないからだろう。
壮絶な体験は普通はしないとは思うが、中には、ハプニングが起きることもある。
マイナスのハプニングが起きなくて良かった。
プラスのハプニングは元々期待していない。
なので想像も出来ない。

話は逸れに逸れている。
脳が言うことを聞かない話だった加拿大 stream a 申請
凶暴になるわけでもなし、一瞬、意識を失うぐらいなら可愛いものだと自分を慰めよう。
もう義務は一通り終了した身であるし、恥はかいても迷惑はかけないと思う。

食べられる苺のかき氷

男性と女性のおおまかな違いに、今朝、ふと気づいた。
例外や個人差はあると思うが。

女性は(わたしぐらいのリタイア年齢になると)、暮らしを楽しむことで日々、充実感を得る。
ものすごくお金がかかるわけではない。
何を食べようかな。
あ、そうだ。昨夜の残りもののカボチャ、ハムとチーズを乗せて焼こうか。
それとも、ミートソースを乗せようか。
一人で自分が食べる、本日のメニューを考える。
生協宅配の申し込み書も、ひとりでほっこり食べられる苺のかき氷、これを頼もう。
今日、帰宅してから食べられるように、宇治抹茶あんみつを解凍しておこう。
(食べることばかり)
何時間か後の楽しみがじわじわ押し寄せる牙醫診所

好きな器や調度品、花や草木、香りの小物、、、脇役も勢揃い。
小さくなって着れなくなった衣類を手直ししたりして、気分を一新するとまた着れる日が来る。
誰に見せるわけでもなく、自分を楽しませてくれるモノ。
自分のこころの中を表現する絵も描いてみたい。
そう、知人Aに言うと、絵画教室に通わないとね、と反応。
べつに習いたいわけではない。人に見せたいわけではない。
発表会や展覧会に出したいわけではない。
自分独自の表現をしたい。
溢れるままにアウトプットをしたい。
だが、その知人Aは基本から習う路線を譲らない。
二人の話は平行線。
次第に語気を強めて行くわたしに、知人Aはヘキヘキ。
「アタマが痛くなってきた」と一言。
で、その話はお開き。
人それぞれ好みの問題で、建設的ではない話に必要以上に熱くなり、わたしも反省した醫學診斷中心

実はこの知人A、、、アタマが柔らかそうでいいなあ、と、第一印象を受けた、、、が、カチンコチンだった。
見誤った。
まあそういうこともある。

そもそもわたしは体育会系の人間は苦手だ。
でもわたしが文系、インドア派なので、ほっておくと全く運動をしない。
老体に鞭打ち、健康寿命を維持するため、自分にハッパをかける意味でも、この、アタマカチンコチン体育会系人間と、運動している。
体育会系は、ほんとに困る。
わたしが「足が痛い、膝が痛い」と無理したくないそぶりを見せると、「絆創膏を貼ったらいいですよ」と、取り計らってくれない。
わざと悪いジョーク。聞き飽きた。
こんな人のペースに巻き込まれたら、健康寿命がかえって目減りする。
自分の身は自分で守らなければいけない。
なので、もうダメ、MAX限界、という一歩手前で音をあげることにしている。
ギリギリまで頑張ると、身体を壊しては意味がない。
根性なし、と罵られようが、わたしは健康寿命を第一優先的に考える。
旅行はもちろんのこと、日常生活にまで支障をきたすようなことにでもなったら大変。
生活の質が著しく低下する。
自己責任。
なので、自己鍛錬や自己向上などには目を瞑り、ひたすら防衛に回る。
自分はもう闘わない局面に来ている。

向上を忘れたら老いるだけだ、と、アンチエイジングで頑張っている人がいるが、それでストレスを溜めていたら、せっかくの黄金の健康寿命が泣く。
無茶はよくないが、何ごとも程々に。
それでは生きている意味がない、生きた屍だと嘆くボルテージの高い、何ごともやる気満々、全力投球の人は、頑張ってください。
人には人の道。
現役こそが生きる証、とパワフルに頑張る人もいる。
だがしかし、もう頑張らなくてもいいなんて、なんと幸せなことかと、わたしは思う。
生涯現役を望む太く短い短距離走タイプの男性脳と、細く長くの女性脳は違うかも知れない。
リタイアして、何をそんなにシャカリキに頑張るのか、わたしにはわからない。
逆に、一気に何もすることがなくなる人がいる。
退屈で死にそうになるらしい乙型肝炎檢查

祈りに移行しようかと思っ

スマホ画面にチラチラ出て来る広告。
目障りだが仕方ない。
なかに、富裕層とは?みたいなキャッチーな文字が目に入った。
富裕層にも、超富裕層と、富裕層と、準富裕層があるそうな激光脫毛價錢
世界分布をグラフなどで表示してあった。
レギュラー、準レギュラーみたいなかんじか。
その下には「アッパーマス」「マス」と続き、ボリュームゾーンを形成し、その下には、また云々かんぬん。
純資産の額で分けられている。
収入は低くないが忙し過ぎて使えないため資産額が跳ね上がる職種もある。

まあそれはそれとして。
面白かったのは、富裕層と、非富裕層のライフスタイルの違い。
余暇の過ごし方。
富裕層は、祈り、ボランティア活動、社交、運動、となっていて、非富裕層は、TV鑑賞、昼寝、休憩、なにもしない、、、とのこと。
これ、笑った。
監視カメラで撮影された?
わたしは、TV大好き、昼寝大好き、なにもしないことが生活信条で、いつも休憩している。
ボランティア活動は大大大苦手。
なんらかの見返りを期待してしまう眼袋槍
祈りは苦しい時の神頼み。
お賽銭はいつも横で家族が、自分の財布からわたしの分を出してくれる。
神様にしてみると2人分ゲットだから収支としては悪くないはずだ。
わたしがまだ自分のポケットにこっそり入れないだけマシ。

たったひとつだけの救いは、趣味が社交ダンスであること。
しかし、これもあと5年出来たら良いほう。
ではあるものの、わたしの、薄ぼんやりした計画では、社交ダンスを卒業した後は、祈りに移行しようかと思っている。
だが、お遍路さんや、四国巡礼のバスツアーとかではなく。
もう四十八箇所、ペタっとお寺のハンコをずらずら押してもらっているものは、姑の分も、姑の姑の分も、ある。
ではあるものの、あれは自分で集めてこそ意味がある。
わたし独自の分は自分でハンコ集めに回らなければならないのか?
わたし、そういうの、大大の苦手。
「姑」や「姑の姑」のもので代用しよう。
ご利益がなくても事前、自己承諾済み。

ルーツ現地に滞在して、ファミリーヒストリー情報収集的な動きをしそうだ。
決してお遍路さんではない。
自分のルーツを探ればよいのだろうけれど、自分の方は調べる資料が手元にあまりない。
これといった資料はないが生き証人として、親戚がたくさん近隣に住んで現存している。
その点、夫側なら、色んなものがあって楽しい。
だが、代々、みなさん、隠居したらそれらを楽しみに取っておこうと本格的に手をつけなかったが、実際、隠居すると忙しくて、それどころではないようだ。
バトンリレー、順送りとなっている。
わたしもおそらく実際にその時期になると、目の前のことに時間や気力を奪われて、遠い過去のことなど二の次になりそうだthermage 效果

娯楽を堪能するのかと想像

魂以前の問題で、わたしの経験値が低すぎて、想像力が働かない。
ヒロインは自立して一人でも生きて行けるのだが、ダメ男との腐れ縁をずるずる続ける。
ダメ男は、ヒロインをはじめ、ダメ男の妻や母、他の女性やその夫など、全員を不幸にする。
心臓を切りつけられるようなキツイことをヒロインに言われても平気。
頭が悪いのか私處脫毛
農林省のお役人の役柄にしては、どんな頭脳、神経をしているのか。
太宰治似の、めちゃくちゃオトコ前。
だれが見ても嘘で、嘘!と言われてののしられても、平気で嘘を言う。
わしゃ知らん、と、嘘をつく。
優しい嘘か。
そんな嘘なら、「復讐するは我あり」の緒方拳扮する詐欺師のほうが、まだマシ。
(悪人ランクとしては、犯罪者のほうが断然酷く強烈だが)

と、なんであんなに賢い女性が、あんなダメ男に翻弄されるのか。
そこが解せないところが、フィクションならでは。
林芙美子原作。
多分、原作以上に、よく演技されていると思う。(原作は、読んでいないが)

宇宙から宇宙人が攻めてくるぐらい、わたしには感情移入できなかったが、映画としては面白く、楽しめた。
江戸時代の人が、浄瑠璃や歌舞伎、能楽に魅入ったように、話のストーリーとは関係ない次元で、芸能、娯楽を堪能するのかと想像した。
あるいは、ホラー映画や、歴史もの、犯罪ものなど、自分とは関係ないところから鑑賞するには、テクニック的に観客を唸らせる。

しかし、あんなに、嘘とわかっていても、目の前でイケメンダメ男に、優しくされると、参ってしまうのだろうか、、、??
宇宙人は、想像以上にミラクル、パワフルなのだろうか激光脫毛副作用

わたしは、自分が幸せになる道しか選ばないので、能動的にダメ男を選ぶ女性の心境が理解できない。
が、きっと宇宙にはいろんな生き物がいるのだろう。

しっとりした感想を書けなくて、申し訳ない思い。
だって、わたしは女たらしダメ男、キライなので、どんなに擁護されても、拒絶反応、アレルギーを示す。
インスパイアされ、映画とは別の私情が爆発してしまった。
キライキライと書いていると、どんどん熱くなってくる。
太宰治、大好きなんだけど)

映画の素晴らしさを書こうと思ったのに、ダメ男への嫌悪感が倍増し、書いているうちに敵意が剥き出しになってしまった。
それと、令和の今の時代ではあり得ない、セクハラの嵐。
あり得ないほどセクハラは不愉快この上ない。

ラストは病死で悲劇が締められるが、ハッピーな明るい家庭だったとして、最後に病死だったとしたら、どんなかんじなのかと想像した。
幸福な人生も不幸な人生も、残される側にとっては最後は同じなのかと。
見る側のシュミレーション。

それだけ感情が昂るのは、影響力のある映画だということだ。
「女が階段を昇る時」や妻シリーズも、レンタルして観ようかと思うぐらいだから。
たぶん、決めつけられた理想の女性観に、また頭から湯気がもあもあと立ち上がることだろう。
それはそれで、結構なことだ。
無関心よりは比堅尼脫毛

だが、コメントまでいただき期待されていることだと思うが、熱烈映画ファンの方には、無神経、無理解のこの記事をお読みになった、残念さ、無念さを想像すると、こころが痛い。