わたしの考えとは少し異な

古い上着を脱ぎ捨て、春、新しい季節に向かってジャンプ!
と書いていて13年?ぐらい前にも同じ感覚で、新しい挑戦に向けて、始動したことを思い出した。
あれはあれで、一つの成果もあり、一つの季節だった。

わたしは、あれもこれものタイプではないので、同じことを何周も何周も周るかも知れない。
それがわたしの居場所かも。
動き続けながら定まっていく盆腔超聲波檢查

卓球したり登山したり、たぶん、しないと思う。
アウトドア派ではないし、子供たちとの旅行に着いて行くのが精一杯。


リタイア後の男性は、ずっと家に閉じこもって居ると煙たがれる傾向にある。
彼らは口を揃えて言うのが、「家の中でじっとテレビを見ていても仕方ない」と。
テレビは心身を休め回復するために、リラックスして労働再生産させるためにあると、わたしは思っている。
何もすることがなく、何もしないのにテレビを見るのは、選択肢がなさすぎる。
余計に疲れる。
そんな最悪の状態から抜け出すために、外に居場所を作るべきだと提案してくれているとすると、わたしの考えとは少し異なる。

居場所は既に家にあるし、家を起点にあちこちに出かける。
新たな居場所を見つける必要はない。
元々ある。
リタイア男性にとっては家に居場所がない人は少なくないだろうと想像する。
家に船頭は二人も要らない。
後からやってきたら、先に居場所として確保している(ぶんどっている=占領している)妻にしてみると夫源病の原因にもなりかねない。
先住民は抑圧される。

仮に夫婦円満だったとしても、心身健康なのに家の中でじーーっと籠るのは、(よほどテレビが好きな場合は別として)エネルギーを持て余し、満足感、幸福感を得られないだろう磁力共振收費
テレビを見たりして、家の中で過ごすことに最大の幸せを感じる人は、それはそれで幸せだ。

人それぞれ色々ある。
わたしの場合は、居場所を本格的老後に備えて作る必然性をあまり感じないだけだ。
そもそも本格的老後って?
いざという時に準備されてないと急には出来ない、その、いざという時が、本格的老後なのか?
やりたいときに、やりたいことが出来るよう、日々、トレーニングしておく??
準備しなくても、わたしは行き当たりばったりで良い。
明確な目標があり、自分が準備したいなら、すれば良い。
今すぐ必要ではなくても、何年か先のために準備しておきたいなら、すれば良い。
訓練しておかないと、すぐには出来ないから先を見越して、事前にスタートする。
それも良し。
人によって思考や嗜好は、まちまち。

「居場所を作る準備をせよ」と言われて、なるほどと思ったが、よくよく考えてみると、意図して居場所作りを先に用意するのは、わたしのスタンスとは違う。
好きなことやすべきことをしていたら、結果的にそれが居場所になった、という順番。
順序のこだわりも、個々によって違う。

大まかな自分の流れや枠は最初に作っているので、後は流れに任せるだけ。
趣味の居場所作りも然り。
わざわざ「作るんだ!」と意気込まなくても自然に好きなことをしていたらそうなる。

「居場所作り」に賛同するにもかかわらず、違和感を覚えたのは、そのあたりのプロセスにすんなり行かない引っかかりがあったのだろう。
居場所はアタマから作るものではなく、試行錯誤によって結果的に出来るもの。
規制枠、既製品にすっぽり合わせるのではなく、自分仕様、オーダーメイドするもの。
あるいは、一部、活用できるものは既製品を利用する。
そして、居場所は緩やかに変化していくものだ言語治療